今日から梅雨末期ののような大雨が降るという予報がだされています。お盆休みに入っていますが,大雨による警戒が必要になってきます。
さて、1988年12月10日に日本昔話で放映された番組の中に、木曽川の洪水についての古知野の話がありましたので、ご紹介します。(検索をかけるとYouTubeなどでもみられます。)
木曽川の古地図をみると、現在の木曽川とはだいぶ違った流れになっていて、たくさんの支流に分かれていたことが分かります。ちょうど天正14年(1586年)の秀吉の時代に、大洪水が起こり、今の木曽川の本流の位置になったそうです。(現在の川島町や笠松町、羽島市なども尾張の国でした)
ヤロカ水の伝承については、「解説」をご覧ください。
昔、愛知県の木曽川沿いの古知野(こちの)という所に、低地の為しばしば洪水に見舞われる小さな村があり、雨季になると村人達は生きた心地もしなかった。
ある年も、何日も降り続く雨に木曽川の水嵩が増していき、村の男たちは女子供を避難させ、土砂降りの中懸命に堤防の補強をした。やっと雨が止み雲間に月も見えたため、男たちは束の間の休息をとりにそれぞれの家に戻ったが、十四郎(とうしろう)という男がひとり水門の守りに残っていた。
十四郎は川の近くで月見草の花びらを散らして戯れる若い娘を見つけ、危なっかしいので自分の家に連れ帰って事情を聞いた。すると娘は自分の夫が死んだ様子を語り出す。
娘の夫は三年前の大雨の年、十四郎と同じく水門の守りをしていた。その時「やろか、やろか」と川上から唸るような声が聞こえてきたので、気が強い夫は「よこさばよこせ」と応えてしまったのだ。すると突如、川から高波が押し寄せ、娘の夫は濁流に呑まれて帰らぬ人となってしまった。
娘がなげやりに、みんな流されて死ねば良い、月見草は死に逝く者の足元を照らす、などと嘆いて自殺をほのめかすので、十四郎は必死に止めた。すると今度は、娘は十四郎に女房など里へ返して自分と夫婦になれと迫ってくる。そして、もしそれが叶わぬならば自殺するというのだ。十四郎はとうとうこの娘の強引さに負け、女房を裏切って娘と一緒になることにした。
川の音が強く聞こえてきて、十四郎は娘が止めるのも聞かず水門の様子を見に飛び出した。水が引いたら娘と水の来ない高台へ逃げて、炭焼きでもして暮らそうなどと算段しながら水門に着くと、川からあの「やろか、やろか」という声が聞こえてきた。十四郎は娘の夫と同じように「よこさばよこせ」と答えてしまう。
そして村は濁流にのまれ、二人の行方も知れる事はなかった。