学校日記

2024.9.13 その男は「許す方が楽だ」と言った

公開日
2024/09/13
更新日
2024/09/13

校長室より

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パリオリンピックの直前に、未成年の選手が代表行動規範の違反があったことから、出場を断念するという事案がありました。また、オリンピック・パラリンピックでは、メダルを逃した選手に対して、SNSで誹謗中傷をすることが相次ぎました。現在行われている、サッカーW杯最終予選も、2試合を終えて、圧倒的な強さを見せているため、世間は何も言いませんが、もし敗戦しようものなら、おそらく、様々なネガティブな行動をとる方が現れるような気がします。

また、スポーツ以外にも、テレビ番組で発した芸能人の言葉を切り取って批判したり、何気ないSNSでのつぶやきを批判したり…と、いったことが、最近、多くなったように思います。

一つ一つの言動の善し悪しや、それに対して世の中が行動することに対する賛否については、ここでは語りませんが、「寛容」という視点で、興味深い逸話が、山本孝弘著「明日を笑顔に」(JDC出版)に掲載されているので、著者の許可を得て、ここに掲載させていただきます。少し長くなりますが、ご覧ください。



その男は「許す方が楽だ」と言った
 河野義行さんが長野県松本市に居を構えていた44歳の時に事件は起きた。いわゆる松本サリン事件である。警察は河野さんを被疑者として扱い、マスコミは彼をあたかも犯人のように連日報道した。その河野さんとお会いして話す機会があった。素朴さの中からわき出てくるような彼の人柄に魅了された。彼は私と同じく愛知県豊橋市に住んでいる。
 平成18年のある日のこと。河野さんの自宅に一人の男性がやってきた。彼はサリン噴霧車を製造したことで懲役10年の刑を受け、その刑期を終え出所したばかりのFだった。河野さんは彼の謝罪を快く受け入れた。その「受け入れる」レベルが尋常ではない。Fが剪定が得意だと知ると、河野さんは自宅の庭の手入れの一切を彼に任せた。
 「好きな時にいつでも来てくれ。出張でいなかったら鍵はあの場所にある。冷蔵庫にビールくらいは冷やしておくから勝手に飲んでくれ。遅くなったら泊まっていっても構わない」
Fは剪定に訪れる時は必ず河野さんの妻の澄子さんが好きだった百合の花を持ってきたそうだ。そして河野さんの子どもたちもFを受け入れ、一緒に食卓を囲んだ。河野さんはFと釣りに行くこともあった。
 「あのバッシングの中を耐えてこられたのはどうしてでしょうか」
 講演会でそんな質問を受けることもあるそうだ。河野さんは答える。
 「妻は寝たきりでした。結局意識を取り戻すことなく妻は事件から14年後に死にました。でもこれだけは言えます。妻は僕のそばにいてくれました。僕は毎日妻に励まされていたんです。妻が僕や子どもたちを支えてくれていたんです」
 妻の無言の励ましを受けて世間の攻撃と戦ってきたと言う河野さんは、さらにこう言った。
 「人は間違えるものです。仕方ありません。人を恨むことで人生に与えられた貴重な時間を費やすくらいなら他のことに使いたい。私は人格者ではありません。許す方が楽だからそうしているだけです」
 平穏に常に感謝し、今は釣りが楽しみだと語る彼に真の強さを見た。



なかなか真似できない行動だと思います。しかし、自分が刺さったのは、最後のくだりの「自分は人格者ではありません」というもの。私自身、決して人格者ではないので、よく「あなたは、そんなに言うけれど、そんなに完璧な人ですか」と思ってしまう(もちろん、口には出しませんが)、「小さい自分」がいます。どちらかと言えば、私自身、許すことが多い人間のような気がしています。

2学期始業式には「『寛容力』を高めましょう」という話をしました。では、それに甘えて、何をしてもいいのかと言えば、決してそうではありません。しかし、頑張った末に生じた失敗などに対しては、広い心をもち、きびしく責めないことを心がけてほしいと思うのです。
互いに、気持ちに余裕をもって、日々を過ごしていければ、と思います。