学校日記

山本寛斎さんの人生から学ぶ

公開日
2013/04/22
更新日
2013/04/22

校長室から

皆さん、山本 寛斎(やまもと かんさい)さんをご存知ですか?今や日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサーとして第一人者です。
でもそんな山本寛斎さんなんですが、生い立ちはものすごいものがありました。

幼少期に横浜で両親が離婚し、3人兄弟で伯父を頼り高知県に移ります。でも、悪いことを繰り返しては補導され児童相談所にも収容されたこともあるのです。また、そこから脱走したこともあったそうです。その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着くのです。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになったそうです。(さすが岐阜市ですね。繊維の街です)そのうちに中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシンを踏むこともあったようです。(おぃおぃ、変形学生服ですね)
その後、高校へ進学し、大学にも進みます。

社会人となり、コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いた後、昭和46年に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立し、同年、ロンドンで、日本人初となるコレクションを開催しました。

この山本寛斎さんの生い立ちより2つのことを思います。ひとつは教師側からですが、小学校・中学校でその子の将来を決めつけるなということです。子供は無限の可能性を秘めているということです。今、不良やっていても必ず、気付き歩き始めるということです。

もうひとつは、生徒諸君には夢をもってほしいということです。でも、この縫製の手伝いにめぐり合わなかったなら、今の山本寛斎さんはなかったかもしれません。とにかく何かやってみる、何かを始めることが夢見つけの第1歩です。(教師はその手伝いができたなら最高ですね)

何故か急に生徒諸君に伝えたかったことです。