学校日記

朝会より【悔しさを忘れるな!】

公開日
2013/04/30
更新日
2013/04/30

校長室から

今日は悔しさを忘れるなという話をします。

時は、1571年、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、それに応える形で武田信玄は翌年1572年に徳川領国である遠江国・三河国に大規模な侵攻を行います。この時の軍は武田信玄軍2万7000人に対し徳川家康軍1万1000人と圧倒的に武田軍の方が多かったのです。
家康は浜松城に立てこもり、戦いに臨もうとします。「よし、戦の準備じゃ!」「城をかためろ!」としっかり篭城(ろうじょう)作戦を取るのですが、なんと、武田軍は浜松城を無視して、とことこ行ってしまうのです。(ありゃ?)これには面子(めんつ)をつぶされた家康は、家臣の反対を押し切って、武田軍を背後から襲う積極攻撃策に変更し、浜松城から追撃に出ました。

ところが武田軍は待ち構えて、徳川軍を迎え撃つのです。まんまと武田軍の戦略にはまった徳川軍はわずか2時間の戦闘で甚大な被害を受けて敗走するのです。これを三方ヶ原の戦いといいます。

浜松城に戻った家康は、苦渋の表情の肖像画を描かせ、これが現在、徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像(しかみぞう)」として残っています。これは一般に、血気にはやって武田軍の誘いに乗り、多くの将兵を失った自分に対する戒(いまし)めとして描かせたとして知られていますが、もっと簡単に考えると、負けた悔しさを忘れないためではないでしょうか。

さて、春の大会もほとんどの部が終わりました。どうでしたか?悔しさ、まだもってますか?もう少しさかのぼって、前回の3学期の期末試験どうでしたか?うまくいかなかった人はいませんか?その時の悔しさ、今ももっていますか?どうか悔しさを大切にしてください。悔しさは君を成長させます。

悔しさがあれば頑張れる。
夢があればもっと頑張れる。期待しています。