張本勲氏に教えられ・・・
- 公開日
- 2013/05/20
- 更新日
- 2013/05/20
校長室から
昨日は日曜日でサンデーモーニングという番組がやっていました。そのスポーツコーナーが好きで観るようにしています。解説者は張本勲さんです。
忘れもしません、張本勲氏ともう一人のゲスト解説者の会話の中で
「小さいのによく頑張っていますね」とゲスト解説者が言われたのに、すぐ
「小さいという表現はいけません。小柄なのによく頑張っていますねと言うべきです」
とすぐ訂正されたことです。ここまで、配慮される解説者、その場で相手に訂正を求める解説者として印象に残りました。確かかに、小さいと小柄では言われた当人の受け止め方は違います。
張本選手について調べてみました。話は勲少年が生まれる前までさかのぼります。母親は身重のまま、三人の子を連れて当時日本領だった朝鮮から海を越えて日本に渡り、広島で勲を生みます。
勲少年が5歳の夏、爆心地から約2キロの広島市段原新町で被爆し、爆風に見舞われ家は倒壊しました。この際、勤労動員で比治山の西側にいた長姉は、大ヤケドを負い数日後に亡くなられました。
終戦後、父親が朝鮮半島に戻り、生活基盤を整えてから一家も呼び寄せることになっていたが、父親が朝鮮半島で急死し帰国を諦めることになりました。
中学時代は野球とケンカに明け暮れたそうです。この頃、広島カープの広島総合球場の場外の木によじのぼり、よく試合の無料見物をし、プロになりたいと思ったそうです。勲少年の夢は「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」ということでした。
甲子園出場を夢に、地元の強豪・広島商業、広陵高校への入学を希望したが、素行不良との理由で叶(かな)わず、野球では全く無名の松本商業高校定時制に進学します。昼間は学生食堂で働き、夜は学業に頑張るのですが、野球をする時間が全く取れなく、甲子園出場の夢を叶えられそうにないことを悟り、大阪府の浪華商業高等学校野球部に自らを売り込みにいき、監督中島春雄の推薦を受けて同校に転校しました。
そこでみるみるうちに頭角を現すのですが、3年時の夏の甲子園直前、部室内での暴力事件が発覚し張本含む数人の休部処分を受けます。甲子園にはチームは出られましたが、彼は出ることができなかったそうです。張本氏が言われるには、この件に関しては全くの濡れ衣で張本少年は監督の韓国人嫌いに端を発した差別としていると後に言われています。
夢を絶たれた張本少年は自殺も考えたのですが、友達に救われグランドを走り続けたそうです。 甲子園出場の夢は叶わなかったのですが、野球関係者の間で「東の王、西の板東、張本」とその名が知れ渡っていた存在をプロが見逃すはずもなくプロに入っていくのです。その後の活躍は皆さんのご存じの通りです。(中学生はしらないだろうな・・・。)
差別が大嫌いだった張本氏、走って鍛ろ!が口癖の張本氏。その裏にあるものが何かよくわかりますね。小さい人でなく小柄な人、張本氏には差別用語や人を傷つける言葉は許せないものがあったのでしょうね。我々教師は人を教える立場です。何気ない会話の中で人を傷つけていないか、差別用語は使っていないか、十分注意していきたいものです。

