学校日記

サラエボのロミオとジュリエット

公開日
2013/08/16
更新日
2013/08/16

校長室から

テレビで「ザ!世界仰天ニュース」を観て涙がこぼれました。書いてみます。
<命をかけた恋人たち>
1984年、サラエボで平和の祭典、オリンピックが開催されました。しかし、それからわずか8年後、街は一変。戦火に包まれました。それは死者10万人を出したとも言われるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争です。同じ国民同士が憎しみ合い、殺し合う最悪の民族紛争…激しい戦況の中、愛を貫き懸命に生きた男女がいました。
「サラエボのロミオとジュリエット」と今でも語り継がれるカップルです。
民族が異なる2人は、いわば敵同士だったのです。しかし彼らは愛のため危険に立ち向かっていくのでした。

サラエボで育ったボシュコとアドミラは16歳の頃出会い、恋に落ちます。
だが、2人には人種問題という大きな壁がありました。ボシュコは、セルビア人でカトリック教徒。アドミラは、ムスリム人でイスラム教徒だったのです。
そして1991年スロベニア、マケドニア、そして最もセルビアと対立していたクロアチアが独立宣言し、激しい戦争が勃発してしまうのです。
内戦状態になり、さらに、2人が住むボスニア・ヘルツェゴビナも独立への動きが始り、ボシュコのセルビア人とアドミラのムスリム人との対立になってしまいます。それでもボシュコはアドミラを愛し続けます。また、アドミラもボシュコを愛し続けました。

サラエボに住むセルビア人には避難勧告がでて退去命令がでます。そして、ボシュコにはセルビア軍への入隊命令が出ます。入隊すれば、愛するアドミラと同じムスリム人を殺さなければならない。かといって、同じ民族のセルビア人も敵にはできない。苦悩の日々が始まるのです。
そして、彼がとった行動は・・・ボシュコは両親を安全なセルビアに避難させ、自分は一人、サラエボに残りアドミラを守る事にしたのでした。ところが、内戦は激化。セルビア人により、サラエボは完全に包囲されてしまうのです。
それでも2人は毎日、危険を顧みず会うのです。ボシュコは、ムスリム人たちから嫌がらせを受けながらもアドミラのそばを離れず、セルビア人からアドミラを守ったのでした。
再び平和が戻る事を信じ、この争いが終わったら結婚をしようと約束したのです。
そんな中、ボシュコとともに、セルビアに残ったセルビア人の友人が、ムスリムの極秘資料を持ち出し逃亡してしまうのです。これにより、友達であったボシュコにムスリム人たちからの非難が集中してしまいます。こんな危険な状態の中、さらに、サラエボ警察から出頭命令がきてしまいました。出頭して捕虜として捕らえられればきっと殺されることは間違いないと、ボシュコとアドミラは、サラエボから脱出する事を決断するのです。

でも、完全に包囲されたサラエボから脱出する事は容易ではありません。唯一サラエボから脱出する方法は、セルビア人移住区に渡るブルバニャ橋を超えなければならないのです。
しかし、そこはあらゆる部隊がにらみ合う中立地帯で、誰かが侵入すれば、誰彼かまわず射殺される可能性もあったのです。
それでも2人は、橋へ向かったのです。そしてボシュコは撃たれるのです。ボシュコは「僕が撃たれたら、お母さんの所へ戻るんだよ」と言って先に橋を渡ったのですが、アドミラはボシュコのもとへ駆け寄り、彼女もそこで撃たれるのです。二人の遺体は折り重なるようにしばらくそこで放置されます。危険地帯だから仕方がなかったのでしょう・・。

悲劇の象徴として「サラエボのロミオとジュリエット」とされています。平和を改めて願う夜となりました。
※写真は二人が亡くなったブルバニャの橋です。