学校日記

「巨人の星」我々世代には多大なる影響を与えました

公開日
2013/09/30
更新日
2013/09/30

校長室から

昨日のホームページで「さらば涙と言おう」高校生役で志垣太郎さんが出ており、なぜかジープに乗り、白いサファリ・ジャケットに白いスカーフと書きました。これで思い出したのですが、漫画「巨人の星」でこれはどう考えてもおかしいだろうと思うことが3つあるのです。聞いてください。

ひとつは星飛雄馬が小学生の時、花形満が自動車を運転していたのです。それもブラック・シャドーズの10人以上乗せていました。どう考えても、花形満は小学校で車を運転し、それも定員オーバーだったのです。

二つ目は、星飛雄馬に許されたひとつの遊びです。それは、部屋の中にボールが抜けるだけの穴があり、そこへ投げると、外の木に当たり、その穴を通りまたボールが戻ってくるのです。こうして一人キャッチボールで星飛雄馬はコントロールを鍛えたのですが、これは重力があるかぎり無理だろう!と思うのは私だけでしょうか。しかも、それを川上監督は打ち返し、一徹の顔めがけてライナーが飛ぶのです。(笑)

三つ目はあの大リーグボール養成ギブスです。あのエキスパンダみたいなバネで、肩からはめ、投げるときすごく抵抗ができ、外して投げると剛速球となる代物(しろもの)です。しかし、言いたい!あれを一研究で作った友達がいましたが、伸びたバネが腕の肉をはさむのです!痛くて誰も投げられないぞ!

「巨人の星」当時は感動して必ず観ていましたが、その当時は何も不思議に思わなかったのが不思議です。時代はまさに東京オリンピックで日本中の若者がど根性スポ根で染められていく時代でした。
※写真は花形満が小学校で乗っていたスポーツカーです。