学校日記

危険なことから守ろうとして、大切なことを失っていったように感じます

公開日
2013/12/14
更新日
2013/12/14

校長室から

校内の遊具などを作る鍛冶屋さんと話しました。
「先生、いまの子は危ない、危ないと守りすぎではないですか」
と、聞かれその通りだと思いました。

昔、我々の頃はお宮の木はどんな高くても登ったものです。忘れもしません、人が3人ぐらいで手をつないで一周する大木を平行して伸びる木を登り、途中でその大木に移動したのです。下を見たときは人が小さく見えて、『登らなきゃ良かった』と思いました。

また、お宮の境内の瓦の上にも乗りました。裏の神様の方から上がり、登っていくのですが登り切ると実に高いところに自分がいました。下を見ると、これが実に怖く、滑ったなら死ぬことがわかりました。実際あの傾斜は止まりようがないです。滑らぬようにゆっくりゆっくり、登ってきた方に降りました。
我々の幼い頃の遊びは死と直結していたこともしばしばあったのです。見つかるなら親からビンタものだったでしょう。

死まで直結するようなこと以外でも、今は本当にやらせません。そのひとつが水泳の飛び込みです。昔は先生が教えたわけでもないのに、ほとんどの子が飛び込みをしました。今では夏のプール開放に小学生が飛び込みでもやろうものなら退場寸前の指導が待っているかもしれません。

その他に川遊びも典型的なものです。(泳いで良い川もある)小さなことではぶらんこでの飛び降りなどもそうでしょうか。ブランコの反動を使って、砂場に何メートルと飛ぶのです。楽しかったです。

今、何か事故でもあれば、だれの責任、指導はどうだった、環境はどうだったと騒がれ、安全を確保してからやらせるか、最初からやらせないかの選択しか子供達に与えません。これは何か大切なことを失っていくように感じますが、みなさんはどう思われますか。