学校日記

昔の思いやり橋、覚えてみえますか?

公開日
2014/03/31
更新日
2014/03/31

校長室から

「思いやり橋」とHPで出てきましたが、江南育ちの保護者の皆様には橋が実像の思い出として残ってみえると思います。
1960年(昭和35年)頃、建設省の木曽川河川改修工事のため、木製の小網橋の撤去が必要となり、架け替えが計画されました。しかし計画では幅2mの狭い橋でした。将来の自動車社会の到来を危惧した岐阜県羽島郡に島町(現各務原市)が予算を捻出し、幅3mの橋として建設されることとなります。また、橋の中央部に長さ10m、幅5.5mの待避所もつくられることとなり。1963年(昭和38年)5月に開通しました。

しかし、計画した当時に比べ車が多くなり、1台しか通れず、真ん中でしかすれ違えないことから度々トラブルも生じました。口喧嘩、取っ組み合いもあり、警察沙汰もあったと聞いています。それがけんか橋と言われるゆえんです。地元の方々が中心となり、譲り合いの気持ちをもとう呼びかけられ、譲り合いの看板を設置するなどしてけんか橋から思いやり橋へと変わっていったのです。

この事柄から、2003年(平成15年)、公共広告機構(現:ACジャパン)が思いやりをテーマとした広告を製作。中部地方限定で広告されたこともありました。
いずれにせよ、思いやり橋に一番近い本校はこの「思いやり」という言葉大切にしていかなくてはいけないと思います。譲り合い、相手のことを思って行動する。本校の目指す生徒像のひとつです。

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