特攻隊員の遺書 〜戦争の悲惨さは忘れてはいけません〜
- 公開日
- 2014/06/18
- 更新日
- 2014/06/18
校長室から
昭和19年12月15日の早朝、埼玉県熊谷市を流れる荒川で母子三人の痛ましい溺死体が発見されました。ご遺体は、藤井ふく子さん(24歳)と長女一子さん(3歳)、次女千恵子さん(1歳)の、親子三人でした。
なにがあったのでしょうか。事件のあらましを追ってみたいと思います。
夫の藤井一(ふじいはじめ)さんは、茨城県のご出身で、農家の7人兄弟の長男でした。
親は家業を継いでほしかったようですが、本人は陸軍に入隊を希望しています。歩兵として特別に優秀だった藤井一さんは、推薦を受けて転科して、陸軍航空士官学校に入校しました。卒業後には、陸軍飛行学校の中隊長(教官)に任官しています。
特攻隊の教官だった彼は、教え子が続々と出撃していく中で「必ずオレも後に続く!」と約束を繰り返していました。しかし、重要な職務を持ち妻と子二人の家族を持つ隊長には出撃命令は出されませんでした。何度嘆願書を出してもだめでした。
そんな願いを夫の一さんがもっていることを知った妻のふく子さんは仰天しました。
「どうして・・・!」
夫を愛する妻として、二人の幼子を持つ母親して、そんなこと絶対に認められないことでした。ふく子さんは、毎日、夫を説得しました。死なないで欲しいと何度も説得を繰り返しました。
しかし、夫の決意があまりにも固いことを悟ったふく子さんは、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」と遺書を残し、3才と1才の女の子を連れて入水自殺してしまうのです。
引き上げられた妻子の遺体のそばで号泣した教官は再度血書嘆願を出しやっと出撃を認められたのです。藤井一さんの遺書には「母とともに消え去った幼い命がいとおしい。まもなく会いにいくからね。お父さんの膝でだっこして寝んねしようね。それまで泣かずにまっていてください」と書かれていました。
二度とこのような悲惨な戦争をしてはいけません。後生に受け継いでいってほしい出来事です。

