日本の植民地化を防いだ高杉晋作の短い人生
- 公開日
- 2015/03/02
- 更新日
- 2015/03/03
校長室から
NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」昨夜やってました。高杉晋作の出番となりました。
高杉 晋作は、裕福な家庭に生まれ、やがては久坂玄瑞に誘われ吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)に入門し「松下村塾四天王」の一人に数えられます。
1863年5月10日、長州藩は関門海峡において外国船砲撃を行いますが、逆に米仏の報復に逢い惨敗してしまうのです(下関戦争)。高杉はこれでは勝てないと思い、この年、5月には身分に関係ない闘う集団、奇兵隊を作るのです。
1864年7月池田屋事件や禁門の変で打撃を受けた長州藩に対し、幕府はチャンスとばかりに長州征伐軍を送るのです。
さらに8月、長州藩の攻撃によって大打撃を受けていたイギリスが中心となり、 フランス、オランダ、アメリカと共に四国連合艦隊を結成、下関に再度攻撃を仕掛けてくるのです。これは高杉にとっては長州VS日本全国・アメリカ・イギリス・フランス・オランダなんです。ここで完全にやられてしまうのです。今ならフルボッコという感じです。
終結となり、この終結でも高杉は尽力するのですが、彼は他の条件は受け入れたのですが「領土の租借」についてのみ頑として受け入れようとせず、結局は取り下げさせることに成功するのです。これは清国の見聞を経た晋作が「領土の期限付租借」の意味するところ(植民地化)を見抜いていたからです。
もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろうと伊藤博文は自伝で記しています。歴史に大きな影響を与えた高杉晋作ですがなんと27歳で肺結核で亡くなってしまうのです。