学校日記

津田投手 忘れることができない投手でした

公開日
2014/11/05
更新日
2014/11/05

校長室から

プロ野球ファンならこの選手の名前を覚えておいてください。炎のストッパーとして活躍した元広島の津田恒美(つだつねみ)投手です。山口県立南陽工業高等学校を経て、社会人野球の協和発酵から、ドラフト1位で広島に入団しました。どのバッターにもグィグィ勝負していく投手でした。その闘争心から炎のストッパーと言われたのです。

でも、年は1982年のことです。くしくも、津田さんが5回も出場し快速球を披露したオールスター第1戦の当日のことです球宴開幕セレモニー直前、ニュースが飛び込んでくるのです。「津田投手がこの世を去った」と。「32歳で脳腫瘍(しゅよう)のため亡くなられました」と。

オールスター出場の誰もが「本当ですか!?」と絶句したそうです。巨人長嶋監督らセ・ベンチはもちろん、西武清原らパ・ベンチの関係者も声を失ったそうです。元同僚の広島大野は「信じられない。津田は元気になると、自分に言い聞かせていたのに」と目を潤ませたそうです。

ひょうきんな性格でナインの誰からも愛された津田投手。ひっそりと2年間の闘病生活にピリオドを打たれ、家族にみとられて静かな眠りにつかれました。

往年のプロ野球ファンなら誰もが彼を知っていると思います。彼の生き方、決して逃げない、勝負していく生き方、忘れることができません。