昭和の大横綱 大鵬
- 公開日
- 2015/02/01
- 更新日
- 2015/02/01
校長室から
巨人・大鵬・卵焼きとは? 巨人・大鵬・卵焼き(きょじん・たいほう・たまごやき)とは、昭和時代(戦後期)の流行語です。「子ども(を含めた大衆)に人気のあるもの」の代名詞として言われたのです。野球フアンの多くが巨人でした。相撲フアンの多くが大鵬を応援したのです。そしてみんなに愛された卵焼きとでもいうのでしょうか。
ここで中学生にどんな人物かわからないのが大鵬だと思います。大鵬について書いてみます。
昭和15年に、ロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校、マルキャン・ボリシコと日本人妻の間に三男として樺太で生まれました。出生の直後に激化した太平洋戦争によってソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げてきたのです。
北海道での生活は母子家庭で大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓もしました。その再婚相手の職業が教師だったことから学校を毎年異動していたこともあり、しばらくは北海道各地を転々としています。また母は再婚相手とは大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻るのです。 中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ中卒金の卵として北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしていましたが、昭和31年に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門するのです。とにかく、腹一杯に食べられることが決心の基とされています。
新入幕から6場所目で初優勝するなど、見る見る間に頭角を現しました。この場所でNHKアナウンサーの小坂秀二が「柏鵬時代」という言葉を発したことをきっかけに、柏戸とのライバル対決が一気に定着しました。
それから何度も優勝し、横綱として相撲界を牽引し、昭和46年1月場所には32回目の優勝を果たすのですが、その年に自分の相撲が取れないと引退するのです。それが最後となりました。
そして、平成25年1月に死去、そして国民栄誉賞授与を授与します。苦労の人生を歩んできた大鵬関です。華やかに見えましたがものすごい苦労人だったんですね。