学校日記

もうすぐ甲子園始まりますね・・・。短い人生 懸命に生きたあっこさん 思い出します

公開日
2015/03/20
更新日
2015/03/20

校長室から

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もうすぐ春の全国高校野球選抜大会が始まります。懸命にプレーする球児から何かが伝わってくるのです。でも華やかな高校野球ですが裏には悲しい話も多くあります。この話は本当にあった悲しい話です。聞いてください。

数年前、夏の甲子園でベスト8入りした大分県の楊志館(ようしかん)高校の話です。野球部ナインから「あっこ」と呼ばれて慕われたマネジャー大崎耀子(あきこ)さんが、上咽頭(じょういんとう)がんで亡くなくなられました。享年17歳でした。あっこさんは、ともに汗を流したナインに「ありがとう」と書き残して逝ってしまうのです。

 あっこさんは同高に入学し、練習する選手たちの姿に感動、迷わずマネジャーになります。服の汚れも気にせず洗濯や掃除に励み、練習の合間にはよくキャッチボールをするなど、とても明るく活発な子だったそうです。

しかし、2年生の時、首に違和感を覚えて受診、がんと告知されるのです。夏の県大会を控えたナインに余計な心配はさせたくないと、「入院中は絶対に選手たちと会わない」と決め、グラウンドに戻る日を信じて5か月に及ぶつらい抗がん剤治療に耐えるのです。

そんなあっこさんの枕元へ、県大会を勝ち続けるナインからウイニングボールすべてが届いたそうです。決勝は会場にいた女性教諭が携帯電話で「実況中継」され、母親は「病院の廊下で携帯電話に耳を押し当て、選手たちと一緒に校歌を歌う姿が忘れられない」と話されました。チームはこの年、甲子園でベスト8まで勝ち進みます。

一度は退院するのですが、やがて転移し、2年生の2月には「年を越すことはない」と宣告されてしまうのです。あっこさんは残された時間をグラウンドで選手たちと過ごすことに決め、「もう治療はしません」と医師に告げたのです。3年生になった7月、県大会初戦もベンチで見守るのです。敗退し、甲子園の夢はかなわなかったのですが「みんながいるから私もがんばれた」と笑顔でナインに感謝したそうです。

秋に野球部の仲間たちは「来年、あっこと見よう」とグラウンドの花壇にチューリップを植えたのです。あっこさんも「一緒に植える」と心待ちにしていたのですが、体調をくずしてかなわず、自宅で倒れてそのまま入院します。そして、静かに息を引き取るのです。営まれた葬儀の後、霊きゅう車はグラウンドのダイヤモンドを一周し、ユニホーム姿のナインは校歌を歌って別れを告げたのです。

宮地弘明監督が、一枚の画用紙を部員にそっと差し出されたのです。そこにはたどたどしい「ありがとう」の文字が描かれていました。亡くなる2週間前、病室を訪れた監督が「何か書け」と手渡され、目を開けられず、気道を切開して話すことも出来なくなったあっこさんが必死に書いた言葉でした。(写真)
春にはグラウンドのチューリップが花を咲かせたそうです。

あつこさんのことをみなさんに知ってほしく載せてみました。