桑田ロード
- 公開日
- 2015/04/10
- 更新日
- 2015/04/10
校長室から
数年前ですが桑田真澄(ますみ)いう投手がいました。高校時代から甲子園で活躍し、野球の天才児とまで言われた彼です。しかし、彼は決して恵まれた環境で育ったのではありません。貧しい家庭環境の中で必死に頑張り、プロ野球選手になることに夢を見い出し、ひたすら努力した人なのです。その彼の努力は確実に実り、プロ野球の世界に入ることができました。それからの彼は頼れるエースとして何年も巨人を支えてきました。アンチ巨人ファンから見れば憎き選手でもありました。
しかし、悲しいかな、彼にも体力の衰えを感じる時がきました。さらに肘に痛みを感じるようにもなりました。二軍生活も体験しました。それでも彼は『ボールは投げられないが下半身は鍛えることができる』と走り続けます。走り続けた芝生が剥(は)げ一本の道となったのです。その道は誰が名付けたかはわかりませんが「桑田ロード」と呼ばれるようになったのです。
二軍生活が続き、引退が噂される中、なんと彼は幼い頃から夢見ていた大リーグに挑戦しました。彼は単身で臨みます。通訳もつけることはありませんでした。彼の英語を聞いた人は一体どこで学んだのだろうと驚きますが、彼は目標に向かって最善の努力を怠りません。英語も毎晩独学で勉強しました。
パイレーツでは審判員とぶつかり右足首の靱帯断裂という不運に遭(あ)いますが、何ひとつ不平不満を漏らさない彼がそこにいました。そして上った大リーグのマウンド。日本の多くのファンが彼を応援しました。打たれても打たれても、また夢を追いかける彼にいろいろなことを教えてもらいました。体を酷使し、それでも何度も何度も立ち上がる桑田投手を好きな方は巨人フアン以外でも多いのではないでしょうか。