学校日記

男、藤川球児!こんな素晴らしい選手だったのか・・・。

公開日
2015/06/03
更新日
2015/06/03

校長室から

【 藤川 球児 】
高知県高知市出身で父が草野球でノーヒットノーランを達成した翌日に生まれたため球児と名付けられたそうです。いかにもという感じです。幼少期はぜんそくを患(わずら)って決して丈夫な体ではなかった彼ですが、高知商業高校に進み甲子園大会出場、そして活躍が認められ、ドラフトで阪神に指名されるのです。阪神時代は「火の玉ストレート」と呼ばれる直球を投げ、手元で浮き上がるような感覚を相手バッターはもったと言われます。
その後、2年間のメジャー生活を送るわけですが、故障続きでやがては自由契約になるのです。日本の球団が藤川選手に接触を試みるもなんと彼が選んだのは、四国アイランドリーグの高知FDという小さなチームでした。

 MLBからはメジャー契約の話もあったというのですが、再起の場所を決めたポイントは「お墓にお金を持っては入れない」と条件面では全くなかったといい、志(こころざし)だったというのです。

 「応援してきてもらったので、恩返ししないままに現役をやめることはできない。地元の少年野球チームに見に来てもらって、バリバリの状態を見せてやろうと。まだ見せれるんでそれを見てもらって、僕ができなかったアメリカでやり返してくれって」と、熱い思いを口にしました。泣けます!日本では阪神を初め、多くの球団が彼の獲得に乗り出したのに、なんと四国アイランドリーグ、給料10万くらいの道を選んだ藤川投手。アメリカでの故障の中でいつも思い出していたのは故郷(ふるさと)のことだったのでしょうか。

追伸:藤川選手の阪神時代の背番号は92でした。これは星野監督が名前の球児からつけたものです。