学校日記

山本譲二さんの必死にしがみついた人生

公開日
2015/07/15
更新日
2015/07/15

校長室から

山本 譲二(やまもと じょうじ)さんは、日本の演歌歌手です。山本さんは高校3年の夏、甲子園に出ているのです。彼は補欠ゼッケンでしたが代打で使っていただき、内野安打で一塁に残ったのです。その当時の話を嬉しそうに語られるのを見て、今の山本さんがあるのはあの時、一打席でも甲子園のバッターボックスに立てられたのが大きかったのではないかなと思いました。我慢して我慢して、練習に取り組み、補欠でもしがみついていく。そしてたった1回のチャンスでもヒットにつなげたのです。彼の人生に大きな影響与えます!

山本さんは演歌歌手になりたくて上京し体をこわし、うまくいかず、やむなく帰郷してしまうのです。母親の励ましで強い決意を持ち22歳で再び上京します。しかし、芸能界入りを果たすも、パッとせず、崖っぷちにまた、立たされたのです。

最後の決意で北島三郎さんの仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島から突然、鞄(かばん)を渡されたそうです。即ち「鞄持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務めたのです。そして、再デビューしたのですが、またも鳴かず飛ばずの日が続くのです。

30歳の時に『みちのくひとり旅』をリリースします。周りからは「この曲で駄目なら、もうやめろ」と言われていたそうです。発売当初は売れず悩んだそうですが、1年近くが経過し大ブレークし、演歌スター歌手への仲間入りをようやく果たすのです。当時31歳の時でした。長い下積みと簡単に言いますが、とんでもなく長かったのです。

高校卒業後の彼が歩いた道のりは高校までに何度もグランドで苦労した道のりと似ていないでしょうか。中学、高校と苦汁を飲んできた彼は知らず知らずに力をつけていたんです。どんな時にでもしがみついていく力を・・・。与えられたチャンスをものにする力を・・・。