「正徳寺の会見」 これはおもしろい
- 公開日
- 2015/11/06
- 更新日
- 2015/11/06
校長室から
人は話題が豊富だとおもしろいなと感じることがあります。社会の先生と話していて、こんなことがあったんです。
ある先生が「官庁などでは、お客さんが背広だと、すぐ相手に合わせて背広着るのですよ」と話してくださいました。そこで「織田信長みたいですね」と誰かが話します。そこは社会科の先生です。「正徳寺の会見ですね」と一瞬に話がつながることに驚きました。
「正徳寺の会見」
斎藤道三から信長に 対面したいという知らせが届きます。 1548年、斉藤道三の娘・帰蝶と信長に嫁(とつ)いでから約5年、この時まで道三と信長は一度も会ったことがなかったのです。(なんと・・・!)そしてその間、、「信長が大うつけ」であると周りが騒ぎ立てるので、道三はそうではないと口では言いながら、少々不安になったのか自ら真偽の程を確かめようと思ったようです。親としても心配だったでしょう。.
そこで、道三が信長に会うために正徳寺で会見することになり、その前に実際の信長を見てやろうと、道三は物陰に隠れたのです。そのとき現れた信長はひどい格好で、父信秀の葬儀の時を思わせるような、髪型は頭の上で結ぶ野武士型で、服装はゆかた姿で上半身裸かで片側だけ脱いだ状態、大刀はわら縄で巻き、腰の周りに火打ち袋やひょうたんをいくつもぶら下げて、誰がどう見てもうつけ姿です。
道三は『こんなうつけなら正装する必要はない』と道三は平服(礼服でない格好)で正徳寺の会見場に行ったのです。道三はすでに一つの企(くわだ)てがありました。「ひとつ、アイツを驚かせて笑ってやろう」と考え、見事な正装スタイルに着飾った老臣たちを800人ばかり、正徳寺の御堂の前に整列させ、その真ん中を信長が通るように準備していたのです。
ところが そこに現れたのは、さっきまでのうつけ姿だった信長でなく、凛々(りり)しいまでの正装をし、威厳(いげん)を放つ若殿姿になった信長だったのです。道三これには『あ〜驚いた!ぶったまげた!娘をよろしく』となるのです。
帰り際、家臣に「やはり、うつけでしたね」と言われ、あの信長の最新兵器で装備した部隊や信長の行動から、やがて美濃は信長のものになると予感したのです。これが「正徳寺の会見」なんです。
織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺旧跡は愛知県一宮市冨田とされる説と羽島市だったという説があるのです。さて・・・。木曽川を渡る時はお互いに危険(攻めやすい)ですから、どっちだったかは考えさせられますね。写真は一宮市正徳寺旧跡です。