学校日記

内藤大助さんの言葉、「終わらないいじめはない」

公開日
2015/11/09
更新日
2015/11/09

校長室から

内藤 大助(ないとう だいすけ)さんは、元プロボクサーでWBC世界フライ級王者にもなられたことがあります。今はタレント、ボクシング解説者として活躍されています。内藤さんは教育界からはきっと重宝されると思います。それは彼の生い立ちにあります。

両親は、母親が大助さんを身ごもっている時に離婚されます。それからは母親はアルバイトで大助と4歳上の長男を養い辛い日々を送られます。後に民宿を始められますが、生活は決して楽ではなかったそうです。

中学では卓球部に所属するのですが中学2年になるといじめの標的にされるようになってしまうのです。後になって内藤さんが話していましたが、生活が苦しかったため、トタンの家や兄のお下がりの制服などから「ボンビー(貧乏)」というように呼ばれるようになり、やがては、あだ名で馬鹿にされたり、給食のおかずや貴重品を取り上げられたり、教師に見つからないよう人目につかない場所で暴行も受けたりしたそうです。内藤さんはそれから神経症の胃潰瘍を患うまでに追い詰められたそうです。

高校へはそのいじめ友達から離れるように進学し、ようやく普通の生活に戻れたそうです。
同校ではハンドボール部に所属し活躍されますが、卒業後には定職にも就けず苦労されたそうです。ある日、書店で目にしたボクシング雑誌に刺激を受けボクシングジムに入門するのです。内藤さんは『地元に帰ってもあのいじめっ子に同じ目に遭うのではないか、だったらボクシングで強くなり、びびらしてやろう』と思ったそうです。いわゆる自己防衛のためのボクシングだったのです。

24歳で全日本チャンピオンになり田舎に帰ったとき、その地元で祝勝会があり、そのいじめてた人も来たそうです。もし殴りかかってきても、今なら「やめろよ」って言えると思ったそうです。腕力じゃなくて心が強くなったと感じるそうです。でもその時は仕返しなんてどうでもいいとさえ思ったそうです。

内藤さんはこんなメッセージを残しています。「いじめられて死にたいと思っている子は誰にでもいいから相談してほしい。終わらない、いじめなんてない。とにかく絶対あきらめないでほしい。死んじゃだめだ」と。(中日新聞2015年11月6日朝刊より)

一度、本校に来て生徒達にお話でもしていただきたいものです。