「ドーハの悲劇」が「ドーハの感激」に
- 公開日
- 2016/01/30
- 更新日
- 2016/01/30
校長室から
ドーハの悲劇を覚えてみえますか。1993年10月のカタールのドーハで行われた、日本代表とイラク代表の1994 FIFAワールドカップ(アメリカ大会)のアジア地区最終予選の試合の最後に起こった出来事です。
ワールドカップのアジア地区最終予選には日本、韓国、北朝鮮、サウジアラビア、イラン、イラクの6国が残っていたのです。日本はイラクとの最終戦の段階でグループ首位に立っており、勝てば自動的に本大会出場が決定、引き分けでも2位のサウジアラビア、3位の韓国が共に勝たなければというすごく有利な立場でした。
日本は開始直後に三浦知良のヘディングで先制、後半追いつかれるものの中山雅史がシュートを決めて2−1で試合を有利に進めていたのです。このまま終われば日本の勝利は間違いなしと誰もが思ったのです。
ところが、ロスタイム、まさかの同点弾を浴びたのです。まさかの失点に日本チームの選手の大半は放心状態でその場にへたり込んでしまいました。
この試合と同時に他会場で行われていた試合ではサウジアラビア、韓国ともに勝利するのです。日本は得失点差で3位に転落し、予選敗退が決まってしまったのです。この試合はドーハの悲劇と言われ、あってはならぬ事が起きてしまった時にも「ドーハの悲劇」として使われるほどです。
ところでサッカー男子のリオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねたU−23(23歳以下)アジア 選手権で、日本は26日にドーハで行われる準決勝 でイラクを破り勝利し、オリンピックの出場権を得たのです。試合会場がドーハで相手国がイラクという同じ条件で勝利したことが、本当に良かったです。ドーハの悲劇がドーハの感激に変わりました!(うまい)