徳川家康、34名の神君伊賀越え(しんくんいがごえ)
- 公開日
- 2016/02/08
- 更新日
- 2016/02/08
校長室から
昨夜の大河ドラマ「真田丸」観られましたか。織田信長が明智光秀の謀反(むほん)に遭(あ)い、本能寺で命を落とします。その時、信長に「安土においで」と言われていたのが徳川家康なのです。家康は安土の後に、京見物、さらに堺見物と楽しんでいる時に、この信長が討たれたという情報を得るのです。これはさすがに危ないと思ったでしょう。と、言うのは家康の集団は34名だったのです。家康は自害まで決心したのですが家来から止められているのです。ここからは家康は大変だったのです。明智光秀から狙われるは、落ち武者(むしゃ)狩りに遭うはと大変な行程です。家康の首もっていけばすごいご褒美が待っていたのです。
家康は必死に逃げます。伊賀の山の中、獣道を走りまくります。そして三重の海岸から船に乗り、三河の岡崎城に無事戻るのです。これを「神君伊賀越え」と言うのです。秀吉の毛利を討って明智光秀と戦いに戻ったことを「中国大返し」と言いますが、この「神君伊賀越え」も昨夜のテレビはなかなか見応え有るものでした。
※写真は伊賀の山道です。こんな所を必死に走って逃げたのではないでしょうか。嫌、もっとすごい獣道かも・・・。