学校日記

昭和の大横綱・千代の富士が亡くなられました

公開日
2016/08/01
更新日
2016/08/01

校長室から

現役時代に“ウルフ”(おおかみ)と呼ばれ、優勝31回を記録した昭和の大横綱・千代の富士(現九重親方)さんが亡くなられました。61歳でした。

千代の富士は体重では苦労したそうです。いかんせん入門時は70キロしかなく、体重が物を言うこの世界では通用しないのではないかと思われたそうです。しかも力で相手を投げにいくところがあり、ついには肩に脱臼癖(だっきゅうくせ)もついてしまったのです。
不安を解消するために重ねたのが相撲の稽古に加え、徹底的な筋力トレーニングです。「弱い箇所があれば、周りを強くして補強すればいいんだ」と鉄アレイを何度も持ち上げた話は有名です。そして、鋼(はがね)のような体になり、やがては小さな大横綱と呼ばれるようになったのです。

千代の富士、古知野中学校にみえた時があったのです。現役の横綱の時、自分の弟子を取りに来校されたのです。学校は大騒ぎになりました。女性の先生方は誰がお茶をもっていくかでキャーキャー言っていました。生徒は2・3階渡りにまで出て、下から上まで人、人、人でした。

引退の時の言葉「体力の限界」は有名な言葉です。周りにはまだできるだろうと思われても、横綱のプライドがあったのでしょうか。突然の引退でした。

大鵬も千代の富士も逝ってしまわれました。昭和の時代がだんだん遠くなっていくような気がします。