学校日記

教師は教えてもらった先生の影響を受ける 山口良二先生から学ぶ

公開日
2016/09/09
更新日
2016/09/09

校長室から

高校ラグビーの強豪、伏見工高(京都)の山口良治総監督が27日、中日新聞27面に「私の先生」に載ってみえました。山口先生は日本代表でフランカーとしてプレーした後「京都一荒れた学校」といわれた伏見工高でラグビーを指導。後に全国優勝に導き、その軌跡はドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなったのです。

新聞を簡単に紹介させていただきます。
『福井県小浜市の若狭農林高校(現若狭東高校)時代の体育教師の中尾一郎先生(故人)は教師を目指すきっかけになった方です。母を亡くし、継母と折り合いが悪かった僕をいつも支えてくれました。

強面(こわおもて)で無愛想。生徒から怖がられていましたが、僕は運動が得意なこともあって、一年から親しくさせてもらいました。卒業まで実家にいたくない時はいつも先生の家に行きました。体の大きかった僕に布団とパジャマを用意してくれて、翌日は一緒に登校。包み込んでくれるような人でした。憧れから決めた進路も応援してくれました。「負けるな」が口癖でした。おかげで部活のラグビーも続けられました。

教師になりラグビー部の監督も兼ねて赴任した京都府立伏見工業高は荒れていて大変。「中尾先生だったらこうするだろう」という思いで行動しました。学校に来ない部員を家まで迎えに行き、学生服を着させて、モーニングを一緒に食べて。とにかく、絶対に「捨てない」と。

あの子たちと全国大会で優勝した時、先生はわがことのように喜んでくれました。指導に悩んでいたころは、帰省(きせい)のたびに会って愚痴をこぼしたけど、信じていてくれました。』

みなさん、読まれまして、どう感じましたか?山口先生はこの中尾一郎先生からものすごい影響を受けています。教師とはこうあるべきものだと自分が生徒の時、感じたことを大切に教壇に立たれました。

プロジェクトXで知ったのですが「弥栄(やさか)の清悟(せいご)」という少年と山口監督は出会うのです。彼は札付きの不良、恐れられた少年だったのです。この彼は伏見工業に入学してくるのですが、この少年に「ラグビーやらんか」と誘い入部させます。お弁当さえ、まともに作ってもらえなかった彼に奥さんに作らせた特大のお弁当を持っていく様子なども放映されていました。そしてこの少年こそが全日本高校選手となり、日本体育大学に進学し、やがては教師となっていったのです。

まさに山口先生が中尾一郎先生から学んだものがそこにあったのではないでしょうか。教師は教えてもらった先生の影響を受ける。改めてそう思いました。

山口良二監督の格言「僕に涙がたくさんあって良かった」は山口先生の生き方そのものです。多くの本も出ています。是非、若い先生方に読んでいただきたいです。