昭和57年度〜59年度の学校の荒れで得たことは
- 公開日
- 2016/11/17
- 更新日
- 2016/11/17
校長室から
学校が荒れるとは今の先生方は聞いたことはあっても体験したことはないと思います。少なくとも昭和57年〜59年に勤務していたことがある先生ですから、今の54歳以上の先生となるわけでしょうか。それもその頃、中学校勤務という条件が付いてきます。
勘違いされるのは一部の生徒がおかしかったと思われがちですが、実際はもっと違ったものがあったと思います。当時、チェッカーズの“ギザギザハートの子守歌”がヒットすることなどは、その頃の中学生の気持ちを代弁したようなもので、世間全体に、学校の指導体勢に反抗するかのような動きが出てきたのです。
忘れもしません、勤めていた学校で3年生職員から要請があり、南館3階に駆け上がった時です。丁度、音楽で北館にいた3年生から「帰れ!帰れ!」と帰れコールされたのです。それもクラスほとんどの生徒からです。暴れまくっている生徒を援護するようなこの出来事は今でも忘れません。
“権力には何がなんでも反抗していこう、俺たちは自由だ!自分は自分で評価する、内申書なんてくそくらえ”当時の中学校に流れた雰囲気です。
この当時の学校の荒れは教育での大きな意識変革の基となったと思うのです。特に一人一人を大切にしてくれという若者の訴えや、何もできない目立たない者にも、もっと期待をかけてくれ、認めてくれという風潮も一気に出てきたのではないでしょうか。
特に勉強だけが全てでないと、勉強できないからといってダメな人間でないという、この部分の変革は大きかったように感じています。日本が学歴社会から脱皮した時でもあるように感じているのは私だけでしょうか。