「1か月の皆勤賞 〜はるちゃんが教えてくれたこと〜」
- 公開日
- 2017/03/13
- 更新日
- 2017/03/13
校長室から
はるちゃんは、どこにでもいるような笑顔が素敵な目がクリッとした女の子でした。ところが保育園時に病気になり、それ以来、入退院の日々を送っていたのです。
それでも、必死に頑張るはるちゃんは小学校に進学しました。『いつかきっと治る』はるちゃんはそう信じ、毎日を笑顔一杯で過ごしていました。それでも入退院を繰り返し、体調はいっこうによくなりませんでした。
5年生の夏のことです。主治医の先生から「桜の花を見ることができないかも」と言われたのです。
それは、春まで生きることができないという余命宣告でした。はるちゃんにとって悲しい宣告でした。でもはるちゃんは生きる希望を捨てずに頑張りました。
そして、桜の花満開の4月、はるちゃんは、桜の花を見ることができたのです。
『桜の花だ・・・』はるちゃんはつぶやき、何度も桜を見上げていました。
はるちゃんは、どんな気持ちで桜の花を見たのでしょうか。
この頃、はるちゃんはベットから起き上がることさえ、大変なはずなのに、それでも「学校に行きたい」とお母さんに言いました。
「学校に行く」、それは、ずーっと病院と家で生活していたはるちゃんの最後の夢だったのです。
はるちゃんは6年生になり、毎日学校へ通いました。はるちゃんにとって学校は夢のような場所でした。
はるちゃんが教室に入ると「おはよう」と、友達が温かく迎えてくれます。
そして、はるちゃんが帰る時は「また明日ね」、みんな思いっきり手を振ります。
明日の再会を楽しみに・・・。
こうしてはるちゃんは、6年生の4月の一か月間、1日も休まずに登校したのです。
しかし、5月のはじめ・・・、
残念ながら、はるちゃんは、たった一人で天国へ旅立ちました。桜が散り、緑の木々に変わった5月に・・・。
主治医の先生は、
「あの体の状態で、ベットから起きて学校で授業を受けるなんて、考えられない。
友だちパワーが奇跡を起こしたのだろうか」 と言われました。
ひまわりが大好きだったはるちゃんのために、お葬式の会場は、ひまわりでいっぱいになりました。そして、会場には1枚の表彰状が飾られました。
「あなたは、1か月間笑顔で登校しましたのでこれを表します」と書かれた
“1か月の皆勤賞”でした。
はるちゃんは、11歳で亡くなりました。しかし、友達はこう言っています。
「つらい時は、はるちゃんを思い出しているよ」「はるちゃんみたいに、私もがんばる」
はるちゃんは、今もみんなの心の中で生きています。
自分を大切に、友達を大切に・・・。はるちゃんが教えてくれたことでした。
※この文章は現在、県教育委員会保健体育科の杉本春美先生が小学校勤務時に体験されたことを書かれたものです。最初、みんなの前で紙芝居で読まれ、大きな感動を受け、無理言って頂いてきました。はるちゃんは11歳で旅立ちました。本当に短い人生でした。
杉本先生が、この文章をHPに載せることをお母さんに許可を頂こうと連絡を取られたそうです。お母さんは大変、喜ばれて「今もはるかは生きている・・・」と言われたそうです。是非、どこかの学校でこのページを観られましたなら、そのままホームページに載せるか、学級で読んで頂けないでしょうか。学校に行く喜びを今一度、みんなで確かめて頂たいのです。ご自由にお使いください。 校長:飯沼元康