玉子焼きとお母さん
- 公開日
- 2017/03/28
- 更新日
- 2017/03/28
校長室から
今日は、このホームページに載せて、他校の数名の校長先生より誉めて頂いた文を紹介します。高校2年の時、体験した話です。どの学校でも使って頂けるように、書き直してみました。どうか、どこかで使ってくださると嬉しいです。
高校時代は給食がなく、みんなは毎日お弁当をお母さんにつくってもらい、もっていきました。高校は好きな仲間でごはんを食べるのです。クラスの中に比較的、人気者のS君がいました。背が高く、陸上部のエースでしっかり者の彼でした。彼もみんなと輪になってお弁当を食べていたのですが、いつからか一人で食べるようになりました。
彼のお弁当、いつもお弁当にたまご焼きが入っているのです。いや、よく見ると、卵焼きだけでほとんどおかずの部分を占めているのです。次の日も次の日も・・・。当時は今のようなキャラ弁はもちろんありませんが大抵、おかずは4種類くらいが普通だったと思います。だから弁当が貧相とかそんなことではなかったんですが・・・。
周りのみんなは、
「おい!今日も玉子だけだぞ」
「よっほど玉子が好きなんだ」
とささやくようになりました。
そして、いつからか、あだ名が「玉子」になりました。
ある日、病気など1回もしたことがない彼が学校を休みました。そして、朝のホームルームの時間、担任の先生から悲しい話を聞きました。
「彼のお母さんは病院に入院されていましたが、昨夜、亡くなられました」と。
みんな驚きました。いつも明るく、そんなこと一言も言わなかった彼でした。そして、とんでもないことを言っていた自分達を悔やみました。
あのお弁当はお父さんが毎日彼にもたせたものか、彼が自分で作ったものだと誰もがわかりました。みんな、彼にすまない気持ちで一杯でした。なんと恥ずかしいことをみんなで言ってしまったのだろう。「玉子」と言われるたびにどんな気持ちになったのだろう。学校だけは母さんのこと忘れられる唯一の時間だった思うのです。それが僕たちの心ない言葉で母さんのこと思い出していたんだろうなと思いました。おそらくみんな一緒の気持ちだったと思います。
みんなで葬儀に出ました。背の高い彼が、正座で小さく座っていました。どう話していいのかわからず、何も語らず彼の家を後にしました。