【校長日記】 集うということ
- 公開日
- 2015/04/17
- 更新日
- 2015/04/17
校長日記
昨日は、社楽の会という、社会科教師の勉強会でした。
隔週で、布袋北部地区学習等供用施設に集まります。
始まったのは、平成6年6月。間もなく21年目に突入します。
昨日の参加者は16名(写真上)でしたが、多いときには40名を超えるとき(写真中)もあります。
集まるのは社会科教師が中心です。
社会科は、理科と共に俗に内容教科といわれます。これに対して、国語や算数を道具教科(用具教科)、他を表現教科といいます。
内容教科とは、言語や数量を使って、社会のしくみそのものの習得を目的としています。
従って、社会科教師には、情報が必要なのです。
私の部屋には移動書架があり、本でびっしりです。それぐらい勉強しなければやっていけないのです。
しかし、1人の力はたかが知れています。互いに情報を持ち寄り、学び合うことにより、情報も増え、刺激を受けるのです。
まさに、三人寄れば文殊の知恵なのです。
第1回から20年間続けてきたルールは次の点です。
・ 誰でも参加できる。また、参加を強制されない。
・ 参加者全員の名前を公表する。
かつては、指導案や学級通信、作成したテストなど、何かお土産をもってくるというルールもありましたが、最近はこの縛りはありません。
集うことこそが重要だからです。
今の時代、通信手段の普及で、集まることが少なくなってきました。
人生で最も重要な儀式である葬儀式も小規模化し、結婚式も簡略化するなど、人が集まる機会はどんどん減ってきています。
これは子どもの世界にもあります。
例えば、夏休みのラジオ体操。
私が小学生の頃は、期間中、毎朝やっていました。
懐かしいと思われる人も多いでしょう。
人が集まるには、その人の時間というコストがかかるのです。移動のために費用も発生する場合もあるでしょう。
合理化はある程度やむを得ないことです。
しかし、人が集わなければできないこともあります。わたしは、そこを大切にしたいのです。
社楽の会HP
http://www.tcp-ip.or.jp/~syaraku/syaraku.htm