【校長日記】 続々 時代の先を読む力 −3−
- 公開日
- 2015/04/25
- 更新日
- 2015/04/25
校長日記
前回は、徳川家康が清洲の街を名古屋に集団移転したと書きました。
今回は、その続編、「名古屋は家康がつくった 中」です。
名古屋城そしてその城下町を設計したのは徳川家康です。
その構想は壮大です。
上の図を見てください。(画像の出典元が見つかりません。どなたかアドレスを教えてください。)
白色が武家の屋敷、茶色が町人、赤色が寺社です。
こうしてみると、寺社の多さが目立ちます。
愛知県は日本一寺の数が多い県ですが、その理由の一つが防御のための戦略なのです。
名古屋城を中心に、多くの街道が繋がっています。
下街道、上街道、駿河街道、佐屋街道、美濃路、岩倉街道、犬山街道などです。
その街道の入り口に、赤色、すなわち寺社が配置されています。
どうしてでしょうか?
いざというときに、そこに兵を集め、防衛上の拠点としたのです。
特に、駿河街道(飯田街道)は特徴的です。
下の地図を見てください。
名古屋新栄町駅の周辺です。右下から斜めに走る道路が駿河街道(飯田街道)です。
いかがでしょう?
お寺だらけですね。今も残っているのです。
関ヶ原の戦いを経て、平和な国家建設をめざしつつも、いざというときの備えを怠らない家康の緻密さが現れています。
続きます。