学校日記

【校長日記】 木を植える−阿智の花桃−

公開日
2015/05/04
更新日
2015/05/04

校長日記

この校長日記で、五条川に桜を植えた社本氏(4月6日)、曼陀羅寺に藤を植えた森氏はじめ奉賛会の話(4月23日)を書きました。
また、木曽の木材を、木曽川を利用して運搬した話(4月11日)もしました。

今日はその関連。

阿智村の花桃です。

昨日、阿智村の花桃を見てきました。
三色(白・ピンク・赤)に咲き分ける花桃は、観賞用の「桃」の木です。

中国原産ですが、その苗木をドイツのミュンヘンから持ち帰った人がいるのです。

その人とは、福澤桃介です。

大河ドラマ「春の波涛」の中心人物で、その波瀾万丈の人生はあまりにも有名です。
慶應義塾在学中に、福沢諭吉に見込まれ、留学を条件に婿養子になります。諭吉は、将来、娘の房と結婚させるつもりでした。

帰国後は、何度か事業で失敗した後、日露戦争後に株で財を成し、成金となります。
その後は、数々の会社を買収、あるいは設立し、実業家の道を歩んでいきます。
Wikipedia には、「主な役職」として、30を越える社長や取締役が挙げられていました。

中でも有名なのが、木曽川の電源開発です。

読書発電所、大井発電所、落合発電所など、多くの水力発電所を建設しました。
これにより、木曽の木材は、水路ではなく、陸路輸送に代わったのです。

タブの建設中、木曽の三留野に滞在した山荘が今も「福沢桃介記念館」として残っています。
桃介が訪れるときは、日本の女優第1号の川上貞奴を必ず同伴して滞在したそうです。
ここに、例の花桃を植えたのが始まりです。
 「福沢桃介記念館」HPhttp://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/midokoro/nagiso/midokoro_43.html 

この花桃が、南木曽を中心に広まり、全国にも広まったのです。

植える人がいて、育てる人がいて、広げた人がいるのです。

こうした背景を知って見ると、また違った見方ができますね。


ちなみに、桃介と貞奴は、名古屋滞在中には東区の「二葉御殿」に2人で滞在していました。今も「文化のみち二葉館」として残っています。
 「文化のみち二葉館」HP http://www.futabakan.jp/