続 江南市縁の7人の戦国武将 −1− 織田 有楽斎
- 公開日
- 2018/05/06
- 更新日
- 2018/05/06
布袋の歴史
江南藤まつりにちなんで、「江南市縁の7人の戦国武将」を私見を交えて紹介しました。
若干の補足を続編としてお知らせします。
その第1弾は、織田 有楽斎です。
事実と違うこともあるかもしれません、その時はご教示ください。
犬山ホテルの敷地内にある茶室「如庵」 。(下の写真)
現在、国宝に指定されています。
その如庵を建てたのが、織田 有楽斎(織田 長益)です。
東京の「有楽町」の名の起源である織田 有楽斎。(異説あり)
織田信長の実の末弟で、甥の信雄も慕っていました。
信雄の兄、信忠に、二条城で自害をすすめた人物といわれています。
自らは、二条城を脱出しました。これにも異説がありますが・・・。
小牧・長久手の戦いでは、秀吉と家康の仲介役も務めています。
信長の実弟だからこそできることです。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、西軍の有力武将・蒲生真令を倒す活躍を見せますが、悲しいかな、淀君は姪っ子。豊臣にも力を貸します。
大阪の陣では豊臣に付いていましたが、最後は離れます。
今回の一連のテーマである、豊臣と徳川の間に揺れた 一人といえるでしょう。
その結果、子孫は続きました。
「勝(か)ち馬(うま)に乗る」といいますが、戦国武将が有利な方につくのは、生き残る術なのです。
画像出典 犬山ホテルHP http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/joan/