【校長日記】 機織り機とトヨタ自動車
- 公開日
- 2015/06/18
- 更新日
- 2015/06/18
校長日記
昨日、お題を出しました。
Q 「結城紬織屋の図」と「トヨタ自動車」はどんな関連がある?
その解説編です。
尾張部を含めた今の愛知県は、江戸時代から綿織物業が盛んでした。
「結城縞機屋の図」は、江戸時代後半に分業・協業といった新しい生産過程、いわゆるマニュファクチュア(工場制手工業)が始まった図として、多くの教科書等で紹介されています。
画像出典 一宮と尾州繊維産業のあらまし
http://www.matimoyou.com/bisiyuseni-2.htm
尾張は、第7代尾張藩主 徳川宗春が、規制緩和による経済の活性化を図りまた。
一方、世は享保の改革を推進する将軍徳川吉宗の時代。質素倹約の強化が徹底しており、お祭りも縮小されていた時代です。
宗春は、幕府の方針に逆らって、祭りを奨励したため、職を失いかけていた全国のからくり人形師が尾張に集まったのです。
そのため、現在でも、愛知県内には多くのからくり人形を載せた山車が残っています。
からくり人形は、歯車、ぜんまい、カム、棒テンプなどでその動きをコントロールします。
その技は、後の、機織り機、時計、航空機などに生かされました。
ものづくり愛知の伝統は、このときに始まっていたのです。
機織り機は改良を重ね、自動化を試みたのが、あの豊田佐吉です。
1924年に作られた「G型自動織機」は、当時世界一と評価されました。
画像出典 愛知県HP
http://www.pref.aichi.jp/0000001273.html
その織機の技術を生かして、佐吉の長男、喜一郎は、1933年に豊田自動織機製作所 自動車部を設置しました。国産自動車を作り始めたのです。
それが、現在のトヨタ自動車に発展したのです。
詳しくは トヨタ産業技術記念館 に展示されています。
http://www.tcmit.org/index.html
「結城縞機屋の図」とトヨタ自動車との関連、わかりましたか?
歴史は、どこかで現在とつながっています。
それを知ると、子どもたちにとって身近になります。
歴史と今をつないでやるのも、大人の役割かも知れません。