学校日記

【校長日記】  「生」と向き合う

公開日
2015/07/07
更新日
2015/07/07

校長日記

朝、1年生がアサガオの世話をしていました。

その他、学校では、メダカを育てたり、野菜を育てたりと、学年により、発達段階を考慮して、いろいろな生物を育てています。

生物を育てることは、心を育てることにつながります。
ぜひ、経験させたい学習活動です。


先ほど、「発達段階を考慮し」と書きました。

「生物」を育てるということは、いずれは「死」と向き合うときが来ます。
野菜を食べるのも「死」ですが、動物を飼えば直接に、否応なしに「死」と向き合わなければなりません。
その段階を、ステップを踏んで経験していくことは、大切なことだと考えています。


以前、中学校の自然教室で、自分で釣った「マダイ」を自分で2枚にさばき、片面は刺身、もう片面は塩焼きで食べる経験をさせました。
場所は、福井県小浜市阿納です。(写真下)

子どもたちの多くは、魚をさばくのは初めてです。
さばくこと自体は、手順・方法を講師に教えてもらえるので難しくありません。
難しいのは、先ほど自分で釣り、その「生きている感覚」を手が覚えていることなのです。
「生」から「死」、そして「死」から「食」への切り替えができない子が多いのです。

経験がないからです。

それでも、周囲が行うことで、覚悟を決めて始めます。
結局、全員が、さばく体験することができました。

「命をいただく」というのは、教室ではよく使う言葉です。
しかし、その言葉には実感がこもっていません。

多くの子どもたちが「命をいただく」ことを本当に理解したのは、このときだったのです

釣りが好きな子にとって、それはよくあることでしょう。

小さい頃から、いろいろな経験をさえることがいかに重要か、私もこのときに痛感しました。


数年前に、テレビ番組で、女子高生が鶏を育てて解体して食べる「命の授業」をやっていました。
食品流通科の生徒にとって、必要なことなのでしょう。しかし、女生徒の中には、初めは嗚咽し、涙を流す子もいるのです。
それを越えていくのです。
「残酷」だという批判はきれい事に聞こえます。毎日、誰かがやっていることだからです。その人のおかげで、いただくことができるのです。
食品の専門家になる以上、越えていてほしい素養だと感じました。 


話が飛躍しましたが、1年生がアサガオを育てるのは、実は、ずっとその先につながっているのです。
そして、自己や他の命を大切にする人に成長していくのです。

写真の出典は、ブルーパーク阿納 http://bluepark-ano.com/ 
 おすすめします。