学校日記

【校長日記】 江戸時代の「石(こく)」の意味は?−6−

公開日
2015/07/23
更新日
2015/07/23

校長日記

ここまで、江戸時代の「石」について考えてきました。
「石」とは、米の容積であり、その米の生産力を持つ領地の広さでしたね。

まだあります。
その他の視点を考えてみましょう。

【 兵 力 】

 司馬遼太郎の『関ヶ原』だったかと思いますが、戦国時代の戦闘員の動員能力は、およそ「1万石につき250人」だったと書いてありました。

 19万石の石田三成は、250×19=4750。

 関ヶ原の戦いでの石田軍は約5000人と言われているので、なるほどという数式です。
(関ヶ原の戦いでの兵力は、実際にはもっと少なかったのではないかという説もあります。)

 しかし、平和な江戸時代になると減ります。

 加賀100万石の前田家で1万人といわれているので、戦国時代の半分以下に減ります。

 長州藩36万9000石が禁門の変で動員した3000人という数もわかります。 

 いずれにしろ、「石」高から、およその兵力が類推できるのです。