学校日記

一休さん

公開日
2017/08/31
更新日
2017/08/31

社会科お役立ち情報

夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介してきました。
いよいよ、夏休みも最終日。

今日は、歴史の誤解シリーズ。

歴史上の人物で、実物と最もイメージが違うと思われる人は誰でしょうか?


私も、かつて数人の社会科教師に聞いてみたところ、坂本龍馬の子ども時代とか、モーツァルト、ナポレオンという意見をいただきましたが、他を離してトップに輝いたのは(といっても3票ですが) 一休さんでした。

私も同感です。

何と言っても、昔から伝わるとんち話と、中国や韓国、タイ、ハワイなどでも見られているあのアニメが一休さんのイメージを作り上げました。

特に、私が中国でマッサージへ行った時、子どもたちは誰でも一休さんを知っており、その主題歌を歌えることに驚きました。もちろん中国語でしたが…。

実際の一休さんは、どんな人物だったのでしょうか?

モデルは一休宗純 という、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧です。

京都の生まれで、一説には後小松天皇の落胤といわれ、宮内庁もその説を採用して、一休の墓は宮内庁が管理しています。

後小松天皇といえば、南北朝が合一した時の北朝の天皇です。

アニメでは、一休のお母さんは南朝の人になっていましたが、実際はどうだったのでしょう?
母は藤原氏、南朝の高官の血筋であるという記録もあります。

幼名は、周建。22歳で大徳寺に入り一休の名をもらいます。

しかしその5年後、悟りを開き寺を出て、以後は詩・狂歌・書画と風狂の生活を送りました。

風狂とは、禅宗において重要視される戒律などから逸した行動を、本来は破戒と言われるべきものを、悟りの境涯を現したものとして評価した言葉です。

七福神の布袋、「寒山拾得」で有名な寒山も風狂僧の一人です。

それでは、どんな破戒、いや風狂生活だったのでしょう?

寺に入らず飲酒、肉食を行い、正月には小汚い格好で髑髏をもってまわったのは有名な話です。

仏像を枕に寝たり、由緒ある文書を役に立たないと燃やしたりもしたそうです。

これらは、戦乱や飢餓で苦しむ民衆を救うことなく、私利私欲に走る当時の仏教界を批判した行動なのでしょう。

実際に、大徳寺などを再興したり、天皇に進言、乱世をもたらした幕府を批判し、民衆と親しくするなど、偉人であり、東山文化を代表する才人でした。器の大きな人物でした。

88歳で自ら再興した酬恩庵(写真右)に没しました。

とにかく、すごい人物です。

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