【校長日記】 布袋小学校のルーツを探る −1−
- 公開日
- 2015/09/19
- 更新日
- 2015/09/19
校長日記
布袋小学校は創立何年?
尋ねられて困ってしまいました。
いつから「布袋小学校」としてよいか明確なものがないからです。
布袋小学校の前身は、3つの寺子屋です。
小折村・般若寺の啓明、松岩寺の輯䡄(しゅうき)、中奈良村・善光寺堂の応化
※「しゅうき」の「き」は、車へんに抗のつくり(右側)を書きます。
時代は明治となり、尾張藩が名古屋藩、更に名古屋県から愛知県へと変っていく中で、学校計画は着実に進められていきました。
名古屋県時代、明治4年9月(1871)に義校の設立がよびかけられました。
義校とは、愛知県・岐阜県に普及した民間の簡易初等学校のことです。
愛知県と改まった明治5年5月には、県内各地に義校が設けられ、明治6年には県下で400校を数えるに至りました。
明治5年8月、政府は学制を公布しましたが、県ではこの「義校」を学制の小学校に代るものとして公認し、普及発達を図ったのです。
布袋区も、3つの寺子屋を母体に、地域の寄付により義校が誕生しました。
それが、啓明学校、輯䡄学校、応化学校です。
明治10年には、応化学校が奈良学校と改称されます。
それでは、応化学校はどこにあったのでしょうか?
30年前に、中奈良で私が聞き取り調査をしたとき、あるおばあさんが、「昔、ここに学校があったと聞いたことがある」と言っていました。
それが、善光寺堂の一角にある、現在、中奈良通学班の集合場所になっている所です。
(写真下)
ここに、地元の人がお金を出し合い、施設を作ったのでしょう。
もしくは、お寺の建物を借りたのかもしれません。
ぜひご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。