【校長日記】 経 塚
- 公開日
- 2015/10/20
- 更新日
- 2015/10/20
校長日記
今朝のパラソンパトロールは、経 塚 から回りました。
田代墓地の中にある、吉乃が荼毘にふされたところです。
市のHPには次のように書かれています。
田代町の田代墓地の一角に大きな桜の木があり、その脇に小高い盛り土があります。
その上の高さ125センチの碑に観音像が浮き彫りしてあり、小牧山に向かって建てられています。裏には「尾州丹羽郡小折村新野経塚」、その右に「久庵桂昌大禅定尼葬地也」と刻まれています。
ここが、信長の室「吉乃の方」を荼毘にふしたところです。建立されたのは定かでありませんが永禄9年(1566)5月13日、29歳の若さで帰らぬ人となった吉乃の方を弔って、死後建てたものと思われます。じっとこの観音像を拝していると、吉乃の方の優しいほほえみが伝わってくるようです。帰らぬ人となってしまった吉乃の方を思い、信長は一晩中泣き明かし、その後も一人小牧城の望楼にたたずみ、この地に向かって涙する日が続いたといわれています。
そして、あの戦国時代に信長を中心に郷土が生んだ前野将右衛門一族、蜂須賀小六父子、豊臣秀吉、徳川家康などが命を賭けた数々の戦いが思い起されます。さらに、激しい国盗りの影で信長と吉乃の方のラブ・ストーリーが偲ばれます。
どこかに梅塚 もあったはず。
ご存じの方、教えてください。