学校日記

【校長日記】 遊佐河内守月窓墓碑

公開日
2015/10/28
更新日
2015/10/28

校長日記

今朝のマラソンパトロールは、道音寺へ行ってきました。

ここに、遊佐河内守の墓碑があると聞いたからです。

ありました。

門を入り左側のお地蔵様の左側に、ひっそりと祀られていました。
先日紹介した梅塚と、ピタリ同じ高さ91センチ。

表(写真下左)は阿弥陀如来像の線刻。裏(写真下右)には、遊佐河内守月窓入道墓也
尾州丹羽郡小折村新野長塚 と彫られています。

そうです。元は、梅塚の近くにあったのですが、荒れ果てていたのを哀れんだ人が道音寺に移したのでしょう。

遊佐河内守は、『探訪 武功夜話のふるさと』によれば、生駒家長の家臣です。

信長が犬山城を攻略した天正7年に、その前衛砦であった、柏森大道寺攻めに際し、信長は、この遊佐河内守に采配を託しました。
信長は、その楠氏流兵法の采配を見物したそうです。
遊佐河内守は、見事に犬山勢を撃退させました。

妻は、生駒家長の義姉。生駒氏と深いつながりがありました。

このようなお話が、布袋にはいろいろあるのです。