【校長日記】 梅塚・経塚
- 公開日
- 2016/06/08
- 更新日
- 2016/06/08
校長日記
今日のマラソンパトロールは、小郷から小折・田代、神明社、久昌寺周辺を回りました。
まずは梅塚です。
以前にも紹介しましたが、生駒平三郎の廟也と書かれています。
生駒平三郎って?
紹介します。
生駒氏といえば、信長の室、吉乃ですね。
その吉乃の兄が、四代 生駒家長です。
小折の宝頂山墓地の五輪塔が家長の墓です。
その子が、生駒平蔵、そして四男(史料によっては五男)が利豊です。
宝頂山墓地の家型墓地が利豊の墓です。
「生駒平三郎」は、平蔵の子です。家長の孫であり、利豊の甥にあたるのです。
平三郎は、織田信秀に仕え、小牧・長久手の戦いで活躍しています。
関ヶ原の戦いでは、叔父・利豊が東軍、平三郎が西軍と分かれて戦いました。
なぜ分かれて闘ったのか?
どちらが勝っても生駒家が残るようにしたのです。
この頃は、多くの武家がそうしたのです。
勝った利豊の墓が宝頂山墓地の家型、負けた平三郎の墓地には碑が立っているだけです。
歴史のあやとは言え、残酷な感じがしますね。
下は経塚。吉乃の方が火葬された場所です。
江南市ではなく、一宮市千秋町加納馬場梅塚130です。
加納馬場という地名が示すとおり、生駒家の馬場があったところです。
現在こそ名鉄犬山線で分断されていますが、当時は一体が生駒屋敷の土地。広大です。
布袋小校区には、生駒氏関係の史跡がたくさんあるのです。
紫陽花があちらこちらに咲いていました。

