ポンペイの不思議 −4−
- 公開日
- 2016/08/12
- 更新日
- 2016/08/14
校長日記
2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時、朝日新聞に依頼されて、7回にわたって紙上に連載した記事を紹介しています。
その4回目はポンプです。
改めて確認しますが、ポンペイの時代(西暦79年)は、日本では弥生時代。登呂遺跡の頃です。
その頃に、ポンペイでは既に水道がありました。
宮殿には、噴水まであったのです。
記事を紹介します。
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ポンプ
生命の源は何といっても「水」。水の確保は人類の永遠のテーマです。
ローマ帝国は、今も使われている水道橋で有名なように、早くから水道が整備されていました。
それより南に位置するポンペイは、火山灰が積もった台地の上にあり、水には恵まれているとはいえません。それは家の中に雨水を溜める貯水槽がつくられていたことからも分かります。
そこでポンペイでも、最も高台にある分水場から、公共泉水、公共浴場や噴水、一部の裕福な邸宅へと鉛の水道管(写真)を使って配水していました。
そして一般の民衆は、公共泉水から水を汲み出して使用していました。
水不足の時には、はじめに裕福な邸宅の栓を閉めたことから、当時の社会は意外と民主的だったことが分かります。
ポンペイ展で見られる水道設備はすばらしく、水車の復元模型や水道栓・水道管の実物が展示され、町の水道についてビデオで鮮やかに紹介されています。
特に写真に見られる青銅製の吸い上げポンプは、その金属加工技術に驚かされます。
日本は川が多く、また地下水に恵まれていたため、水道はあまり発達しませんでした。その日本から見ると、二千年前の町に水道がひかれていたとは驚きです。
水と人々のくらしについて調べてみましょう。
ここで問題です。
下写真右のらせん式水あげ機は、ギリシアの有名な科学者発明したと言われています。
この有名な科学者とは、誰でしょう。
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いかがでしょうか?
「水の確保は人類の永遠のテーマ」と書きましたが、決して誇張でも何でもないことはおわかりですね。
水道度は、文明度を表しているのです。
この答は アルキメデス です。
ポンペイの、いや、ローマの文明には、改めて驚かされます。