【校長日記】 宗春と吉宗
- 公開日
- 2016/12/08
- 更新日
- 2016/12/08
校長日記
先日、ユネスコがらみで、第7代尾張藩主、徳川宗春の経済開放政策が名古屋に繁栄をもたらし、今の「ものづくり県 愛知」の基礎を作ったと書きました。
からくり人形師が尾張近辺に集まり、その技術が機織り機に生かされ、自動織機へと進化し、それがトヨタ自動車の原型となりました。
自動車だけでなく、中部地区で盛んな飛行機や電車の車輌、時計などの製作技術にも生かされました。
しかし、宗春自身は、時の8代将軍・吉宗に睨まれ、不幸な人生を送りました。
結局失脚させられ、宗春死後の墓には罪人であるかのように、金網がかけられていたのです。
そのあたりは詳しく紹介したいのですが、以前テレビで放映された「日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒」が、簡潔でわかりやすいので、そのサイトを紹介します。
テーマは、「徳川吉宗」VS「徳川宗春」
ここから http://www.bs-tbs.co.jp/rival/bknm/23.html
これ以外にも、複雑な要因がありましたが、ここで概要は理解できます。ぜひご覧ください。
高橋英樹さんは「宗春」に軍配をあげています。
2人の対決は、「緊縮財政」か「積極財政」かの経済の理論対決によく例示されます。
この両者はいつの世でも永遠のテーマです。
さあ、みなさんは、2人の対決のどちらに軍配をあげますか?