あぁ、落合監督【さようなら1】
- 公開日
- 2011/12/04
- 更新日
- 2011/12/05
そのほか
昨日、中日ドラゴンズの祝賀パレードが行われ、落合前監督からフアンのみなさんに感謝の言葉がかけられました。いよいよ、さようならです。本当にすごい監督で、見習うことが実に多かったです。その落合監督を少し調べてみました。
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)にて7人兄弟の末っ子として生まれ、(これだけでストリーができそうで・・・。)秋田県立秋田工業高等学校に進学し、野球部に在籍していましたが、先輩による理不尽なしごきに耐えかねて退部してしまいました。しかし、試合の前には呼ばれて4番打者として試合に参加するも、光をあびることはなかったようです。
その後、東洋大学に進学するも、先輩とのトラブルや故障もあって東洋大学を1年で辞め、実家の秋田に帰り、ボウリング場でアルバイトをしていました。そこでボウリングに目覚め、本気でプロボウラーになろうとしていた時期もあったそうです。
その後、東芝府中に「臨時工」として就職し、野球部に入り、ここで再びバットを手にすることができました。でも、そこは非常にマイナーな弱いノンプロ球団でした。しかし、そのチームを落合選手のバットで初の都市対抗野球出場までもっていきました。この活躍が、日中はトランジスタラジオの基盤をコツコツ組み立て、夕方から野球の練習をしていた臨時工員を25歳にしてプロ野球選手に出世させたのです。
意外でした。野球エリートではないとは聞いていましたが、何回も挫折し、何回も野球とさよならしているのですね。なのにプロ選手になっていった落合監督。ここから他の監督とはすでに違うのですね。