学校日記

おはようございます! 7月28日

公開日
2012/07/28
更新日
2012/07/28

校長メッセージ

いよいよ、オリンピックの開幕です!みなさんはオリンピックと言ったならどのシーンを思い出されますか?私は東京オリンピックでマラソンで裸足の王者アベベ選手の快走の片隅で3位となった円谷幸吉選手が忘れられません。円谷選手は競技場へ2位で入ってきたのですが、後ろから来たヒートリーに抜かれてしまうのです。国民のみんなから悲鳴のようなものがあがりました。

東京オリンピック後、円谷幸吉選手は好きな彼女ができ、結婚も約束するのですが、当時の自衛隊学校はそれを認めず、破局となります。「結婚よりメダルだ」という考えが強かったことが伺えます。それから、練習時間との戦いや、体の調子が戻らなかったこともあり、苦悩の日々を過ごし、さらには国民の期待も重々感じていたと思うのですが、27歳で彼は死を自ら選ぶのです。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃をを与えました。彼の死を今でも覚えている人は少ないと思います。

ピンクピクルスというフォークグループが「一人の道」という曲を歌いました。当時は誰のことを言っているかは私にはわからなかったですが、大人になりわかるようになりました。

「一人の道」

ある日走ったその後で
僕は静かに考えた

誰のためにはしるのか
若い力をすり減らし


父さん許してくださいな
母さん許してくださいね

あなたにもらったものなのに
そんな生命を僕の手で


見てほしかったもう一度
表彰台の晴れ姿

だけど身体がは動かない
とてももう走れない
これ以上 走れない

円谷選手、天国でお幸せに、お祈り申し上げます。
※写真は東京オリンピックの時のものです。後ろからヒートリーが近寄っています。

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