伊達政宗 「よ!伊達男」 しかし、彼は戦国の俳優みたいな人でした!
- 公開日
- 2013/02/25
- 更新日
- 2013/02/25
校長メッセージ
みなさん、伊達政宗(だてまさむね)をご存じですか?NHK大河ドラマにもなりかなり有名になりました。幼い頃、病気で右目を失い、付いた二つ名が『独眼竜』です。文武秀でたカリスマ性から「奥州の龍」と呼ばれ、豊臣秀吉・徳川家康と渡り合い、激動の世を生き抜いた戦国武将です。
しかし、彼の役者ぶりはみなさんご存じないと思います。信長も服装は派手でしたが、伊達政宗もかなりのファション派で 粋でお洒落なファッションを指す「伊達男」は政宗から着ているのです。
服装だけではありません。秀吉がいよいよ全国制覇にリーチをかけた時、正宗は考えたのでしょうね。これでは領土も命も奪われると・・・。そこで、秀吉の要請に応えるようにようやく小田原参陣を決意したのです。しかし、いかんせん遅すぎた決断でした。
会津を発ち、北条の領地をさけて回り道して小田原に到着するのですが、秀吉には面会を許されず待機状態でした。政宗は理由を申し開きし、石垣山城で秀吉と面会するのですがその時の服装が白衣(死装束)でした。『いつでも死ねと言われれば死にます』という表れそのものだと思います。この服装が忠誠心を誓ったと秀吉には取られたのでしょう。こうして、秀吉に許しを得、伊達家の破滅は免れたのでした。伊達政宗がいかに役者であったかがわかる白衣参上面会でした。