ミクロネシア海外研修レポート⑱
- 公開日
- 2008/09/06
- 更新日
- 2008/09/06
その他
第18弾は,第二次大戦中に日本軍が残していったものについてです。
■風化させてはならない過去
チュークは,かつて「トラック諸島」と言われ,第二次大戦時,日本軍にとって重要な場所でもありました。
太平洋の中にあるにもかかわらず,環礁によってその波は島に寄せることなく,環礁内は完全に大洋から隔離された「広大な内海」とも言われるほどの泊地能力があったと言われています。よってその高さから「日本海軍の一大拠点」であったわけです。
写真は,デュプロン島の病院の跡地(写真左上)や,見にくいですが,鉄道を建設しようとしたレールが残されています(写真中上)。写真にはないですが,歩いていると土に埋まりかけた「防空壕」の跡も見ることができました。
また,ホテルの海岸沿いには,砲台の跡がいくつかあります(写真右上,左中,中中)。実際,ホテルの敷地内には,機銃がオブジェとして,再塗装して飾られてありました。
さらに,最終日のウエノ島の観光では,現在は使用されていませんが,旧日本軍が建てた灯台も見ることができました。(写真右中)
そして,同観光で訪れたザビエル高校(夏休みにつき,生徒は不在)は,校舎内の壁画に大戦の様子が描かれていたのを見つけビックリ。
また,日本軍の集会に使用していた建物だったということで,爆撃を受けた跡が天井に今なお残っていたり(写真中下),窓は,すべて15cmほどの分厚い鉄板になっていました(写真右下)。
現在では,それらが,観光の名所になっていたり,沈んだ艦船がダイビングスポットになっていたりしますが,多くの命が失われたのも事実。
これらの事実を目の当たりにし,考えさせられる部分もありました。