板津忠正さん、特攻隊員の生き証人、逝(い)く!
- 公開日
- 2015/04/08
- 更新日
- 2015/04/08
校長室から
元特攻隊員で鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館の初代館長を務められた板津忠正さんが4月6日、慢性心不全のため亡くなられました。90歳でした。
板津さんは太平洋戦争末期の昭和20年5月、特攻隊員として知覧にあった基地から沖縄に向けて出撃したあと、機体のトラブルで奄美群島の徳之島に不時着し、生き残られました。
終戦後、およそ30年に渡って全国の特攻隊員の遺族を訪ね、みずからが最後に見た仲間の様子を伝えるとともに、遺影や遺書などの収集に当たりました。板津さんが集めた資料は、昭和61年に知覧特攻平和会館が設立される大きなきっかけとなり、板津さんは2年間、初代館長を務められました。
その後も「語り部」として全国各地で講演を行い、多くの若者が命を落とした特攻の悲劇や戦争の悲惨さを伝え続けてみえました。ご実家が犬山市ということで藤里小学校にも来ていただき、講演していただきました。テニスに頑張っていると言ってみえたのを思い出します。ご冥福を申し上げます。