校長です・・・、校長です 633 【金本知憲監督】
- 公開日
- 2016/02/08
- 更新日
- 2016/02/08
校長室から
校長です。阪神の金本知憲監督は魅力ある方です。
校長です。リトルリーグで野球始め、1年で挫折です。
校長です。でも中学校は軟式野球部入部です。
校長です。そこから広陵高校野球部です。
校長です。でも甲子園には一度も出られなかったです。
校長です。ならば大学で活躍をと心機一転です。
校長です。でも中央大学セレクション日、間違って知らされるのです。
校長です。これで浪人決定です。
校長です。ならばと次年度、中央大学の推薦をと狙うのです。
校長です。しかし、浪人生の推薦はなかったのです。
校長です。野球では無名だった東北福祉大学を一般受験で入学です。
校長です。そこで恩師の伊藤義博監督に出会うのです。
校長です。4年連続で全日本大学野球選手権大会に出場です。
校長です。第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選ばれます。
校長です。プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープが4位指名です。
校長です。こうして生まれ故郷の広島に戻ったのです。
校長です。広島での活躍すごかったです。
校長です。日本プロ野球史上7人目となるトリプルスリーを達成です。
校長です。1,002打席連続無併殺打の日本記録を樹立です。
校長です。でも悩みに悩んでFA権利を行使します。
校長です。広島のみんなが泣きました。
校長です。大きな決断で阪神に移籍です。
校長です。阪神でも大活躍です。
校長です。左手首、四球で軟骨損傷も右手一本でヒット打ちます。
校長です。阪神を優勝に導く活躍です。
校長です。「活躍は裏方さんのおかげ」と賞金をスタッフにポイです。
校長です。頼れるアニキとしてチームを引っ張ります。
校長です。金本選手もやはり人の子です。
校長です。年齢と共にまずは守備から満足できなくなるのです。
校長です。連続フルイニング出場は自分から申し出て、切るのです。
校長です。残るは連続試合出場だったのです。
校長です。走者が走塁死し、金本選手、打席未完了でチェンジです。
校長です。そのままベンチに戻り、あっけなく途切れました。
校長です。この時は世間も「あれ・・・?」状態でした。
校長です。でも金本選手、誰を責めるでなく笑ってました。
校長です。そして翌年、引退の決意を固めるのです。
校長です。日本中の野球ファンは泣きました。
校長です。金本選手引退インタビューで答えてます。
校長です。「野球人生7、8割はしんどいこと、2、3割が喜び」
校長です。「2、3割を追い続けて7、8割で苦しむ人生だった」と。
校長です。いつも笑顔で豪快に生きた金本選手でした。
校長です。自分に厳しく、人には最善の配慮する金本選手でした。
校長です。人に憧れをもたせる本当のプロ野球選手でした。
校長です・・・、校長です。