運命のクロスヒストリー「徹底捜査 忠臣蔵」
- 公開日
- 2018/12/31
- 更新日
- 2018/12/31
校長日記
昨晩、NHK運命のクロスヒストリー「徹底捜査 忠臣蔵」 を見ました。
「忠臣蔵」は、「元禄赤穂事件」をモデルに近松門左衛門が脚色したものです。
それが江戸の人たちの中でヒットし、現代にまで史実として伝わってしまいました。
私は、旧吉良邸や吉良町で現地調査をして、いろいろ調べたことがあります。
その意味で、昨日の番組は楽しみに見ていました。
私の知らない事実もあり、逆に物足りない点もありました。
忠臣蔵は、敵討(かたきうち)、または仇討ち(あだうち)とされていますが、それは誤りです。
敵討・仇討ちは江戸時代の初期には認められていましたが、親族に限られ、また、幕府の許可証が必要でした。
しかも、家綱(綱吉の先代)の頃には禁止されました。
ましてや、徒党を組んで幕臣を襲う行為はテロです。ルール通りなら、磔獄門です。
しかし、(幕府に対する反発もあり)世論が同情的になり、幕府内にも温情論が出てきたのです。
世論によって裁きの規準が変わるのは、今でも近隣の国で実際に起きています。
これに待ったをかけたのが、儒学者の荻生徂徠です。
彼は、「義士たちへの同情とは別に、法を犯したことに対する罪を問うべきであり、情のために法を曲げれば、法の権威が失われ治安を維持できなくなる」と述べたのです。
江戸時代の日本人は、ここまで合理的な考え方ができるようになってきたのです。
ただ、その徂徠ですら、本来は磔獄門の所を、名誉の切腹を許してしまいました。
昨日の番組では、当時すでに犯罪であること、幕府の葛藤をもう少し丁寧に説明してほしかったところです。
再放送の時には、ぜひご覧ください。