今日の朝礼は−ほってこの話の聴き方・話し方 2−
- 公開日
- 2015/04/13
- 更新日
- 2015/04/13
校長日記
聴き方で「最後まで聴く」というのがあります。
子どもたちの中には、ついしゃべって、話を遮ってしまう子がいます。
そうではなく、指名された子には、話す権利を与えられたのですから、その子が話し終わるのを待たなくてはいけません。
もちろん、つぶやき程度はよいのですが、邪魔をしてはいけません。
そのために「最後まで聴く」という約束があるのです。
話し方では、「みんなの見えるところで」
というものがあります。
これは、寺子屋以降の日本の教育史始まって以来の転換です。
なぜなら、教育とは、教師は児童生徒に話し、児童生徒は教師に話すものだったからです。
一部、松下村塾のような私塾で、塾生が塾長と共に向き合い、議論を戦わせたようなところもありましたが、ごく一部の例外です。
松下村塾の発想なのです。
私たちは、子どもたちに生きる力をつけたいと思っています。
長い人生の中で、身近に導いてくれる「師」がいるときは、実はわずかです。
社会に出ると、仲間の中で問題を解決していく機会の方が、ずっと多いのです。
だからこそ、教室では、仲間の中で話し合って、練り会って、問題を解決する経験を積んでいくのです。
そのために、児童は、児童に向かって話すのです。
しかし、長年で培ったものは、なかなか抜けきれるものではありません。
「依存」の気持ちが強い間は難しいのです。
これは「自立した集団」がどうかを、見る視点になります。
学校におみえになった折には、どうぞ注目してください。
「みんなが見えるところで」
みんなが見えるところにさっと移動できるときには、その場所でみんなに向かって話します。
みんなに聴いてもらう喜びを味わった子は、自然と出来るようになります。
場所やタイミング等、自分で判断することなので、レベルの高い約束です。
「ことばをかけてから」は、「聴く」のところで説明しました。
一種の号令で、けじめをつけるためです。
クラスの中には、それでリセットできる子もいるのです。
「遠くの子に来こえる声で」
声の大きさは意外と大切です。
人間ではありませんが、動物の社会で、声が大きい方が生命力が強いという話を聞いたことがあります。
声は、体を使って発声するものですから、それも十分わかります。
しかし、わたしたちは人間です。
時と場に応じた声の大きさで話すことの方がより重要になります。
これは、そのとき時々に指導していく必要があります。
でもどうしても小さい声の子もいます。
そんなときこそ「聴くは思いやり」
みんなで静かにして一生懸命に耳を澄ます。
それは美しい光景です。