学校日記

【校長日記】 富士塚の碑文 −3−

公開日
2015/05/30
更新日
2015/05/30

校長日記

富士塚の碑文を紹介しています。
3回目は、正面から見て左側の面です。
写真と見比べながらお読みください。

雄之命守勢州長嶋城嫡子因幡守利豊年幼庶兄右近善長在家拜迎
之世以爲栄
神君自小折村登冨士塚察視敵境而歸小牧遂成和議同十八年信雄
左遷家長亦身老閑居利豊應秀吉之命仕關白豊臣秀次叙從五品慶
長五年關原之役利豊属左衛門大夫福嶋正則自獲首級同年
神君一統闔國貴胤從三位薩摩守源公領尾張國利豊亦依命属從之


現代語訳です。

この時、家長は信雄の命令で勢州長島城を守っていた。
嫡子利豊は幼く、庶兄右近善長が家に在って両人をお迎えした。
[これは]代々の栄誉である。

神君(徳川家康)は小折村から冨士塚に登り、前線を視察して小牧へ帰られた。
その後、和議が成った。

同十八年、信雄は左遷された。
家長もまた年老いて隠居した。
利豊は秀吉の命令にしたがい関白豊臣秀次に仕え、従五品に叙された。

慶長五[一六〇〇]年、関ヶ原の役では利豊は福島左衛門大夫正則に属し、自ら首級を獲った。
同年、神君が全国を統一し、高貴な血筋の従三位薩摩守源公(松平忠吉)が尾張国を領有した。
利豊もまた命令によって彼に従うことになった。


※ 「富士塚」は「冨士塚」と碑文には書かれています。
 一般には「富士塚」と書きますので、タイトルは「富士塚」を用いています。

続きます。

出典は、(社)生駒屋敷 歴史文庫
 http://www.ikoma-yashiki.com/?page_id=75

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