【校長日記】 富士塚の碑文−4−
- 公開日
- 2015/05/31
- 更新日
- 2015/05/31
校長日記
富士塚の碑文を紹介しています。
4回目は、西側の面です。
写真は見にくいかも知れませんが、見比べながらお読みください。
其後及從二位大納言源敬公封于尾州利豊優仕厚遇采邑如故利勝
者則其子也今黄門正三位襲封之後特選利勝爲令嗣從三位中將之
傅其世系如此其事實如此古曰祖考之嘉名美譽亦子孫之冕服墻宇
也利勝嚮無祖先之餘慶則豈得今日之庇蔭哉今無奉先之孝則世世
事業不垂於不朽也可謂追遠繼志者也嗚呼百行皆有本也本立而枝
繁葉密猶於後昆有所期祝焉詞既成且係之以銘
現代語訳です。
その後、従二位大納言源敬公(徳川義直)が尾州に封じられるにいたり、利豊はよく仕え、厚遇を受け、知行地は昔の通り、小折を与えられた。
利勝はその子に当たる。
ところで黄門[中納言]正三位中将(二代藩主光友)が家督を相続した後、特に利勝を選んで跡継の従三位中将(三代藩主綱誠)の守役とした。
それは家系やそれまでにあった事実が、上述の通りであったからである。
古からこういうではないか。遠い祖先のよい評判・栄誉は、子孫の地位や住まいである、と[『顔氏家訓』「名実」]。
先ず利勝に祖先の余慶が無ければ、どうして今日の立場が得られたであろうか。
今、祖先の祭祀を欠かさぬ孝がなければ、代々の重要な仕事も後世まで永く伝わらないであろう。
まさに先祖の徳を慕い、志を受け継ぐ者である。
ああ、あらゆる行いというものには、皆、本というものがある。
本がはっきり示されることで枝が繁り、葉で覆われるのである。
子孫の祝福を期待するのと同じことである。
ことばは既にできた。
併せてつなげて銘とする。
続きます。
出典は、(社)生駒屋敷 歴史文庫
http://www.ikoma-yashiki.com/?page_id=75